カメハッピー氏のフォトログ

Copyright © since 2007 kmhppy All rights reserved 当サイトおよび関連サイト内の画像の無断使用は固くお断りします。

韓国歴史教科書のぞき見

撮影手記

◆4000年の歴史◆
古朝鮮は檀君王倹によって建国されたという(B.C.2333)。というところから始まる韓国国定歴史教科書なるものを拾い読みしてみました。
42_1.jpg
この方が檀君王倹とやらで、その国の版図が
43_1.jpg
ということらしいです。メルヘンですねェ~。
朝鮮半島には歴史資料がほとんど残ってなくて、ほとんど日本の資料のミラー版だとも言われています。

そして、資料もある程度現存している
◆日韓併合1910(過酷な植民地政策)◆
325_1.jpg
1 国権の被奪と民族の受難
国権の被奪
清日戦争以後、日本は満州と韓半島を独占的に支配しようとし、ロシアと鋭い対立を見せたが、ついに露日戦争を起こした(1904年)。

露日戦争が起こると、大韓帝国は両国の戦争に巻き込まれないように局外中立を宣言した。しかし、日帝は戦争挑発と同時に韓国侵略の足場を固めるために大規模の兵力を韓国に投入し、ソウルをはじめとして全国の軍事的要地を占領した。また、韓国政府を威嚇して日本軍の戦略上必要な地域を勝手に使用し、日本の同意なしに第三国と条約を締結できないという内容の韓日議定書を強要した。

その後、戦勢が日本に有利に展開すると、日帝は韓国植民地化方案を確定し、引き続き第一次韓日協約の締結を強要し、外交と財政分野に日本が推薦する外国人顧問を置くようにした。しかし、実際には協約にもない軍部、内部、学部、宮内府など各部にも日本人顧問を置いて、韓国の内政に思うままに干渉した。

日帝は露日戦争に勝利した後、より露骨に植民地化政策を強行した。すなわち、日帝は露日戦争を前後してアメリカ、イギリス、ロシアなど列強から韓国の独占的支配権を認定された後、韓国を保護国にしようとする、いわゆる乙巳条約の締結を強要してきた(1905年)。

高宗皇帝と政府の大臣の強力な反対にもかかわらず、日帝は軍事的威嚇を加えて一方的に条約成立を公布し、大韓帝国の外交権を剥奪し、統監府を設置し内政にまで干渉した。これに対して高宗皇帝は、自分自身が条約締結を拒否し署名捺印しなかったことをあげて国内外に条約の無効を宣言し、ハーグに特使を派遣し条約の無効を再び明らかにした(1907年)。

統監府を設置して大韓帝国の内政権を掌握した日帝は、大規模な日本軍を韓半島に派兵してわが民族の抵抗を無慈悲に弾圧し、ハーグ特使派遣を口実に高宗皇帝を強制的に退位させた。それだけでなく、皇帝の同意もなく韓日新協約(丁未7条約)を強制的に締結し、わが政府各部に日本人次官を置いた。さらに軍隊解散に反対して蜂起した大韓帝国軍の抵抗を武力で鎮圧し、大韓帝国を防衛力のない国にしてしまった。

その後、日帝は燎原の火のように燃え盛るわが民族の主権守護運動を武力で弾圧し、司法権、警察権を奪った後、ついに国権までも強奪した(1910年)。


朝鮮総督府
国権強奪以後、日帝は植民統治の中枢機関として朝鮮総督府を設置し、韓民族に対する政治的弾圧と経済的搾取をほしいままに行なった。そうして日本軍現役大将が朝鮮総督に任命され、植民統治の全権を掌握した。朝鮮総督は日本の内閣の統制を受けずに日本国王に直属し、立法、行政、司法および軍隊統帥権まで掌握した絶対権力を行使した。このように強大な権限が総督に付与されたのは、わが民族の独立運動を朝鮮総督が意の如く徹底的に弾圧することにその目的があった。

総督府の組織は総督の下に行政を担当する政務総監と治安を担当する警務総長がおり、総督府の官吏はほとんど日本人によって占められた。そして諮問機関として中枢院を設け、韓国人を政治に参加させる形式をとったが、これは韓国人を懐柔するための術策にすぎなかった。中枢院は3・1運動のときまでおよそ10年間、1回の正式会議も招集されなかったことだけを見ても、これは名ばかりの機関であったことがわかる。


憲兵警察統治
国権が強奪され、韓半島には日本軍2個師団と2万余人の憲兵警察および憲兵補助員が配置され、強力な憲兵警察統治が実施された。

日帝の憲兵警察による武断植民統治は世界にその類例のないものであった。日本の憲兵司令官が中央の警務総長となり、各道の憲兵隊長がその道の警務部長となった。そして全国各地に憲兵警察が配置され、わが民族は武力によって生存までも脅威にさらされた。

憲兵警察の主要任務は警察の業務を代行すること以外に、独立運動家を捜索し処断することにあった。彼らには即決処分権がありわが民族に対し思いのままに笞刑を行なった。韓国人のあらゆる行為は憲兵警察の判断によって裁判もなく拘留されたり重い罰金が賦課された。また、一般官吏はもちろん、学校教員にまでも制服を着せ、刀を下げさせたことは威嚇的な憲兵警察統治の一手段であった。

わが民族はこのような日帝の憲兵警察統治によって言論、集会、出版、結社の自由を剥奪され、民族指導者は逮捕、投獄、虐殺された。ために、救国運動を行なって投獄された人士が数万人に達したときもあった。日帝はいわゆる105人事件(1)や様々な独立運動結社に関連した独立志士を逮捕、拷問し独立運動の抹殺をはかった。
引用終わり

◆感想◆
支配者身分を奪われた両班にとっては冷酷な身分制の廃止だったことでしょうが、大多数の国民は解放されました。この感情的な表現は、元支配者階級だった自称独立運動家のモノでしょう。
やたらと「わが民族」という言葉が出てきますが、この論調は将軍様の女子アナ(チョゴリおばさん)のあの口調によく似てます。
この調子で歴史を勉強しているので全国民が、反日であることは容易に理解できます。

Comments







« »

05 2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
プロフィール

kmhppy

Author:kmhppy
訪問有難うございます。下記関連サイトはフォトアルバムです。本文記事より進行の早いものもあるので、ぜひこちらもご覧ください。

kmhppy関連サイト
◆ familyフォトアルバム
◆ kmhppy氏のおバカな写真集
◆ ホームページTOP
◆ 全日本選手権フォトギャラリー
◆ 地方選手権フォトギャラリー
◆ ミニサーキットフォトギャラリー

◆ 野鳥フォトギャラリー
◆ GANREFアルバム
◆ Facebook

FC2カウンター
最新記事
ブロとも申請フォーム
検索フォーム